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東京地方裁判所 昭和27年(タ)12号 判決

原告 野本明

被告 野本市助 (いずれも仮名)

主文

一、原告の請求は之を棄却する。

二、訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は、

原告と被告とを離婚する、被告は原告に対し金百二十万円を支払はなければならない、訴訟費用は被告の負担とする旨の判決を求め、その請求の原因として、

一、原被告は、昭和三年十二月二十四日に、適法に婚姻した夫婦である。そして、昭和五年九月二十二日、長女正子が出生した。

二、被告は、昭和九年頃から、元芸者訴外中村みさおと関係を結び之を妾として、その関係を継続し、その後、その関係を断つや新に元芸者みどりこと訴外谷口キミイ(訴状記載の君枝は誤記と認める)と関係を結び、之を妾として、昭和二十四年頃まで、その関係を継続し、その後、更に訴外竹内某と関係を生じ、暫くして、之と手を切るや引続いて、訴外たけ子なる婦人と関係を結び、現在は、之と同棲して居る。これ等の所為は、明かに、原告に対する不貞行為である。

三、被告が、妻である原告を差置いて、右の様に度重なる不貞行為を為したことは、原告にとつて、重大な侮辱であるが、原告は旧来の婦徳を重んじ、忍んで、之に耐え、家庭を守つて、長女の養育に専念して来たのであるが、被告は、これ等の事情に一顧も呉れず、常に、花柳の巷の出入し、或は賭博に耽つて、金銭を蕩尽し、為めに、家計は常に不足し、原告は、家計の維持に於ても亦多大の苦労を重ねて来た。而も、この間に於て、被告は、事もあろうに、前記の婦人達に与へる金の金策を、原告に命じたこともあつて、これも亦、原告にとつては、耐え難い侮辱であつたが、原告は、之をも忍んで、自己の衣類その他を質入又は売却等して、之を調達したこともあつた程である。のみならず、被告は、生来癇癖が強く、被告の意にそはないときは、罵詈雑言を逞くし、果ては、打擲殴打して、原告に暴行を加へることを常としたが、原告は、之をも耐え忍んで来たのである。斯くて、婚姻以来、二十有余年を経過したのであるが最近に至つては、既に、被告に、原告に対する愛情の片鱗すらも見出することが出来なくなり、原告も亦、被告に対する愛情を喪失し、夫婦の名のみあつて、その実のない状態に陥つて居たところ、偶々、昭和二十六年十一月二十九日に至り、原告が、被告所有の競馬競争馬の賞金の残額金五万円を受取り、被告に無断で、借財及び家計費に充当したことを、被告の詰問によつて、被告に説明したところ、被告は、之を憤激し、原告を面罵した上、右金員を被告に返却して、被告の許から出て行けと怒号し、原告の誠意ある弁明をも全然取上げないので、遂に、原告の忍耐もその限度に達したものと覚悟し、茲に、被告との離婚を決意し、同日、被告の許を立ち出で、原告の実兄の許に身を寄せ、現在に至つて居る次第である。而して、長女は、既に嫁し、原告の母親としての責任も果したので、原告は、最早や被告と婚姻を継続する意思が、全く無くなつて居る。斯かる次第であるから、原告と被告との間には、婚姻を継続し難い重大な事由がある。

四、仍て、民法第七百七十条第一項第一号及び第五号によつて、被告との離婚を求める。

五、而して、原告は、多年に亘り、被告の妻として、被告を扶け、その財産も原告の内助によるもので、而も原告には何等の財産もないので、財産の分与を求める。

分与額は、被告の経済上の活動能力と、被告が、現在、建物一棟(時価五十四万円)(東京都大田区千束町二丁目四十四番地所在木造瓦葺平家一棟建坪二十七坪四合七勺六才)、宅地七十三坪(時価二十二万五千円)(同所同番地所在)、競馬競争馬アラブ系馬一頭(マイハタ号、時価六十万円)を所有して居る事実とによつて、金百二十万円を以て相当額であると思料する。

六、仍て、財産の分与として、金百二十万円の支払を求める。

と述べ、

被告の主張に対し、

一、原告が、被告と訴外中村みさをとの関係を承認した事実はない。又、原告が、被告に訴外みどりを世話した様な事実は全くないし、その関係を承認した事実もない。従つて、原告が、被告と右訴外人等との関係をも宥恕したと云ふ事実は、之を否認する。

二、被告が、職務上の必要によつて、花柳界を利用したとて、とや角云ふ原告ではないのであつて、原告の主張するところは、それ以外の事実である。而して、それ以外に於ける被告の行状は、原告主張の通りであつて、この様な被告の行状を長年に亘り耐え忍んで来た原告にとつては、これ以上婚姻を継続することは、不可能であり、又、今後、右の様な行状を有する被告と婚姻を継続させることは、寧ろ、残酷である。従つて、婚姻の継続を相当とする様な事情などは全く存しない。

三、原告が、終戦前、被告主張の様な生活を送つたこと、及び原告が虚弱で、被告との夫婦関係に耐えなかつたと云ふ様な事実は、之を否認する。原告は、戦時中、一時、花柳界に出向いたことはあるが、それは、自ら好んでしたことではなく、被告の客の接待をよくする為めに、出向いたもので、被告の為めにしたものに過ぎない。戦争の末期以後に於ては、左様なことをしたことはない。又、原告は、妻として長女を生み之を立派に養育成人させたのであつて、虚弱なところなどはない。

四、被告は、終戦後、定職を失つた後に於ても、遊興を事として金銭を浪費しながら、原告には、僅少な額の家計費しか渡さず、その為め、原告は、家計の維持に苦労を重ねて来たもので、生活再建の為め努力をしなかつたのは、被告であつて、原告ではない。

五、原被告間の夫婦関係が疎隔したのは被告の収入の減少や、原告が、終戦前の生活を為し得なくなつた為めではなく、被告が、女道楽に浮き身をやつし、又、終戦後の困難な生活状態の中に於て、競馬の賞金や競馬競争馬の売却などによつて多額の金員を得ながら、之を挙げて、自己の遊興費に充て、家計を顧みないと云ふ様な冷酷無残な仕打に由来するものであつて、夫婦関係疎隔の原因は挙げて被告にあり、原告には何等の責任もない。

六、原告は、原告主張の通り、被告とは、婚姻を継続することが出来ないので、覚悟の上、被告の許を去つたのであるから、今後、被告と婚姻を継続する意思は全くない。この様な状態にある夫婦については、婚姻の継続を相当とする事情などはあり得よう筈はないのであるから、民法第七百七十条第二項の適用があるとする被告の主張は理由がない。尚、右条項は同条第一項第五号の場合には適用がないのであるから、右五号の場合にもその適用があるとの主張は、その主張自体理由がない。

七、被告が、その答弁第七項に於て、主張する事実は、之を争ふと答へた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は、

原告の請求を棄却する旨の判決を求め、答弁として、

一、原告主張の請求原因第一項の事実は、之を認める。

二、同第二項の事実は、被告と訴外中村みさお及び訴外谷口キミイとの間に、原告主張の関係があつたこと、及び訴外たけ子が、現在被告方に居住して居ることは、之を認めるが、その余の事実は、之を否認する。

三、同第三項の事実は、原告がその主張の金員を受取つて、之を無断で費消したこと、及び原告が、その主張の日に、無断で被告方を立ち去り、原告の実兄の許に身を寄せて居ること、並に長女正子が婚姻したことは、之を認めるが、その余の事実は、之を否認する。

四、被告は、終戦前、多年に亘つて、軍需会社の総務部長兼東京支店長として、兼ねて関係子会社数社の重役として、活動し、その収入も、月々、多額のものを得て居たのである。

而して、右会社の対外関係の処理は、被告の職務の重要な部分であつて、その処理の為めには、多数の軍人、実業家と交渉する必要があり、この交渉の為め、花柳界を利用したのであつて被告が花柳界に出入したのは、この為めであり、自ら好んで出入したのではなく、職務上の必要によつて、止むなく出入して居たものである。一方、原告は、被告に、前記の様に多額の収入があつたので、家計その他に何等の苦労もなく、上流家庭の主婦として、小唄、茶、その他の遊びに耽り、果ては、自身も亦花柳界に出入して、花柳界の人々と贅沢な交際を為し、為めに、月々の支出は、多額のものとなつて居たが、被告は、一言の苦情も云はず、之を支弁して居たのである。而して、被告は、斯る事情の下に於て、元芸妓訴外中村みさおと関係を結ぶに至つたのであるが、元々、原告は、体質が、虚弱で、完全な夫婦関係を結ぶに耐えなかつたので、被告は、原告の諒解の下に右関係を結んだものであつて、右訴外人との関係については、原告の承諾を得て居たものである。然るところ、その後に至り、原告は、他に女を持つなら名の通つた者が良からうとの意見に基いて、その知合の浅草の待合の女将や知合の芸妓等に依頼して、芸妓みどりこと訴外谷口キミイを被告に世話したのであつて、被告は、之によつて、前記訴外中村みさおと手を切り、右みどりと関係を結ぶに至つたのである。従つて、同人との関係についても、原告の承認のあつたこと勿論である。而して終戦後は、経済事情も悪化したので、被告は、昭和二十二年頃右みどりと手を切つた。その後、特段の婦人関係はなく、訴外竹内某女は、銀座の酒場の女将で、時々、客と共に出入りして懇意となつた者に過ぎなく、又、訴外たけ子は、原告の家出後、家事の処理に因却した為め、食事の世話や留守番に頼んだ者であるに過ぎない。原被告の終戦前の生活は、前記の通りであつたが、終戦後は、経済事情が全く変り、物価は昂騰して、停止するところを知らず、終戦前の様な生活は思ひもよらず、加ふるに、被告の勤務した前記会社は、その事業の性質上、終戦と共に、事業不振に陥つたので、被告は、その会社を退職し、関係子会社の重役をも夫々辞任し、定職がなくなつたばかりでなく、持病の胃弱も重り、思ふ様に活動することが出来なくなつた為め、定収入を得ることが出来ず、生活は、手持財産の売却と臨時的に入る競馬持馬の賞金等によつて、辛らうじて、之を維持する様な仕末となつたのであるが、これは、敗戦後の世間一般の通常の状態であつたのであるから、原告は、被告と共に真剣に扶け合ひ、その生活を再建すべく努力すべきであつたに拘らず、終戦前の派手な生活に慣れ、旦比較的世間を知らない原告は、前記の様な現実の生活を厭ひ、被告と共に、生活を再建する為めの努力をすることなく、遂には、被告の許を立ち去るに至つたのである。しかし、被告としては、飽くまでも原告と婚姻を継続する意思を有するのであるから、右の様な原告の行動も意に介するところではない。被告としては、現在に於ても、原告の復帰を望んでいるのであつて、原告の復帰を待ち、共に努力して生活を再建し度いと考へて居る。従つて、原被告間には、婚姻を継続し難い重大な事由などは全然ない。尚、原告主張の五万円の件であるが、これは、被告が、年末の家計費に充当する目的で、所有競馬競争馬の賞金の一部を残して置いたものであるが、原告が、無断で受取り費消した模様であつたので、原告に対し、その使途の説明を求めたところ、唯単に返せば良いであらうと云ふのみで、何等の説明をもしなかつたので、被告も憤懣を感じ、原告と多少の口論はしたが、これは、もとより些細なことであつて、夫婦間には有り勝ちなことであるから、斯様なことがあつたからと云つて、夫婦の関係には何等重大な影響を及ぼすものではなく、離婚の原因を為す一事情としての意味を有するものではない。

五、右の次第であるから、被告と前記婦人との間の関係については、原告の宥恕があり、従つて、右関係のあることが離婚原因となるとしても、原告の宥恕によつて、離婚請求権が消滅して居るから、右関係のあることを原因とする離婚の請求は失当である。

仮に、宥恕がないとしても、前記の事情で、婚姻を継続することが相当であるから、民法第七百七十条第二項によつて、右関係のあることを原因とする離婚の請求は、棄却されるべきものである。

又、原被告間には、婚姻を継続し難い重大な事由のないこと前記の通りであるが、仮に、その様な事由があるとしても、それは、前記事情によつて明かな様に、原告自身に於て、之を発生せしめたのであるから、その責任は、原告にあるのであつて、斯る場合に於ては、その責任のある者には、離婚請求権はないのであるから、原告は、之を理由として離婚の請求をすることは出来ない。

仮に、原告に責任がないとしても、前記条項は、この場合にも適用があると解すべきであり、原被告は、婚姻を継続するのが相当であること前記の通りであるから、右事由のあることを原因とする離婚の請求も亦、右条項によつて棄却されるべきものである。

六、原告主張の請求原因第五項の事実は、被告が、原告主張の土地及び建物を所有する事実は、之を認めるが、(但し土地建物の格価は之を争ふ)、その余の事実は、之を否認する。

七、原告の本件離婚の請求の理由のないことは、前記の通りであるが、仮に、離婚の請求が理由があり、被告に於て財産分与の義務があるとすれば、原告は、被告方を立ち去る際に、合計金四十六万円相当の後記金品を持ち出して居るのであるから、分与されるべき財産の中から、右額を控除されなければならない。

原告が、持ち出した右金品は、次の通りである。

(1)、現金五万円(競馬の賞金)

(2)、軸物、松岡映丘「風景」、景年「風景」外二十数点(時価金十五万円相当)

(3)、火鉢(客用火鉢)一個(時価金三万円相当)

(4)、同(客用塗物火鉢)一組二個(時価一万五千円相当)

(5)、ラジオ(米国製携帯用、新品)一個(時価一万七千円相当)

(6)、絨氈(ペルシヤ製)半敷一枚(時価金三万円相当)

(7)、客膳六組(時価金一万八千円相当)

(8)、毛布(英国製)二枚(時価金三万円相当)

(9)、夜具二枚(時価金二万円相当)

(10)、反物二十点(時価金十万円相当)

合計 金四十六万円相当

と述べた。〈立証省略〉

理由

一、原被告が、原告主張の日に、適法に婚姻したこと、及びその主張の日に、長女正子が出生したことは、公文書である甲第一号証(戸籍謄本)並に原被告各本人尋問の結果(孰れも第一回)によつて、明白である。

二、被告が訴外中村みさお、及び訴外みどりこと谷口キミイと、夫々、関係を結び、孰れも数年に亘つて、その関係を継続して居たことは、被告本人尋問の結果(第一、二回を通じて)によつて、之を肯認し得るところであるが、右訴外中村みさおとの関係は、昭和八、九年頃からであり、又右訴外谷口キミイとの関係は、右訴外中村みさおとの関係を断つて後の、昭和十六、七年頃から、昭和二十一年末頃までの関係(正式にその関係を断つたのは、昭和二十三年中のことであるが、実質的には、昭和二十一年末頃に、既に、その関係が消滅して居る)であることが、被告の右供述並に公文書である甲第四号証の二(別件における被告本人谷口キミイの尋問調書)(これは乙第一号証の二と同一のもの)によつて知られるので、被告と右訴外人等との右関係は、孰れも改正民法施行以前の関係であることが明かであり、従つて、右関係のあることによつて生ずる離婚請求権については、改正民法附則第十一条第一項によつて、改正前の民法の適用があるところ、原告は、被告と右訴外人等との間に夫々、前記関係のあることを、孰れも、その関係の生じた後間もなく了知して居たことが、被告の前記供述、原告本人尋問の結果(第一、二回を通じて)及び証人野本正子の証言を綜合して認められるに拘らず、之を了知した時から一年内に、(改正前の民法第八百十六条によると、離婚原因となる事実のあることを知つた時から起算されるのであるから、その事実が継続して居ても、起算日はその知つた時であつて、その事実の終了した時ではないと解さなければならない)、訴を提起して居ないことが、当裁判所に顕著であるから、(原告が訴を提起したのは昭和二十七年一月十一日である)、被告に、前記事実のあることが改正前の民法第八百十三条第五号(重大なる侮辱)に該当するとしても、同民法第八百十六条によつて、之を理由として離婚の訴を提起することは出来ないから、被告に前記事実のあることを理由とする原告の離婚請求は理由がない。

三、被告が、昭和二十五年中から銀座の酒場のマダム訴外竹内某なる女性と関係を結び、昭和二十六年初頃まで、その関係を継続して居たこと、及び昭和二十六年中から、訴外香川たけ子と同様の関係を結び、その後暫くして、その関係を断つまで、その関係を継続して居たことは、証人野本正子、同板垣和夫の各証言並に被告の前記供述を綜合して、之を認めることが出来る。右被告の所為が妻たる原告に対し、不貞な行為であることは、論を俟たない。

併しながら、後記の通り、原被告は、婚姻を継続するのが相当であると認められるから、民法第七百七十条第二項を適用して、被告に右不貞行為のあることを理由とする原告の離婚の請求は、之を棄却する。

(民法第七百七十条第一項(但し第五号を除く)と第二項とは、その規定の仕方に於て、一見矛盾の存する様に見えるのであるがその実質的意味を探究すると、矛盾のないことが明白である。蓋し、第一項(但し、第五号を除く)は、過去の事実に基いて、離婚請求権が発生する場合を定めたものであるのに対し、第二項は、将来発生すべき事態を考慮した規定であつて、将来に於て、婚姻関係の実質の円満なる回復の可能性がある場合は、既に、発生した離婚請求権を消滅させると云ふ規定であるからである。即ち、第一項は、離婚請求権発生に関する規定であるが第二項は、その発生した請求権の消滅に関する規定であつて、改正前の民法第八百十四条乃至第八百十七条と同趣旨の規定であるからである。故に、右第二項に謂ふところの離婚の請求を棄却することが出来ると云う意味は、離婚請求権が消滅すると云ふ意味である。即ち、離婚請求権が消滅するが故に、離婚の請求を棄却することが出来ると云ふ意味である。斯様な次第であるから、第一項と第二項との間には矛盾はないのである。)

四、原被告本人尋問の結果(孰れも第一、二回共)と、証人伊東貞子、同井上利治、同板垣和夫、同山名秀夫、同野本正子の各証言並に公文書である甲第三号証の三(別件に於ける証人村上起志乃の証人尋問調書)、同甲第四号証の二(別件に於ける被告本人谷口キミイの尋問調書)(乙第一号証の二と同一のもの)被告本人の第二回尋問の結果によつて真正の成立を認め得る乙第二号証の一、二(競馬持馬に関する収支計算書)及び弁論の全趣旨とを綜合すると、

(一)  被告は、終戦前は、軍需会社たる日本電気治金株式会社の総務部長として、兼ねて、関係子会社たる昭和鉄合金株式会社外数社の重役として、敏腕を振ひ、その収入も多額なものがあり、自家用自動車などをも備えて居て、その生活は、相当高い上流家庭のそれであつたこと。

(二)  原告は、その為め上流夫人としての生活を為し、その生活は派手で、衣裳なども高価なものを持ち、又、花、お茶、小唄、その他の遊芸に身を入れたり、或は、被告と共に花柳界に出入りして、花柳界の婦人達と派手な交際をしたりして、その生活には何等の苦労もなかつたこと。

(三)、被告は、前記会社の総務部長として、又前記数会社の重役として、その職務上、会社の商談、外部との折衝その他の為めに、花柳界に出入することが多く、自然花柳界の婦人と親近する様になり、一方、被告自身が女道楽に耽る傾向があり、又、花柳界に頻繁に出入りするにつれ、花柳界に自由になる婦人のある方が便利である為め、前記の通り、訴外中村みさおと関係を結び、之を妾として囲ふ様になり、その後、同訴外人と手を切つた後は、前記谷口キミイと関係を結び、之を妾として囲ふ様になつたこと。

(四)  原告は、右の事情を十分了知して居て、そのことについて、特に、被告の非難すると云ふ様なことがなかつたこと。(尤も、前記の様な事情がある為め、原被告間に、時には多少のいさかいのあつたことはあつたが、しかし、その為めに、夫婦の関係に影響を及ぼす様なことはなかつた。)

(五)  右のことは、終戦前の婦人一般が、夫の右の様な所為を黙許する傾向にあつた為め、原告も、それを黙許して居たと解される点もあるが、その実質上の理由は、その点よりも寧ろ被告に経済上の能力があつて、被告に前記の様な所為があつても、原告の経済上の生活には何等の影響も及ぼさず、原告は、被告の経済上の能力によつて、何等苦労することなく、上流夫人として派手な生活を継続し得た点にあると認められること。

(六)  この様な生活が、終戦当時まで継続し、その間、多少のいさかいはあつたにしても、夫婦の関係の実質には何等影響を及ぼすことなく、実質的には、円満な夫婦生活が続いて居たこと。

(七)  然るところ、終戦によつて軍需会社であつた被告の関係会社は事業の遂行が不可能となり、被告はその責任上、その関係会社の一切の職を辞し、爾後、職に就かず、無為徒食の境涯に沈緬するに至つたこと。

(八)  その為め、収入は皆無となり、売食の生活が続き、その生活は次第に苦しさを増して来たこと。

(九)  この様な境涯に陥れば、夫婦相共に心気一転して、生活再建に努力すべきであつたに拘らず、原被告共に、富裕な家庭に生育した人達であつた為め、それが出来ず、被告は依然として従前為した様な生活を繰返し、女道楽はやめず、キヤバレーやバー等に出入して金銭を浪費し、或は競馬、賭博に手を出して之に耽り、一方、原告も、亦、従前の生活を脱することが出来ず、又、夫を諌めて堅実な生活に立ち帰らせ、相共に生活再建の為めに努力すると云うこともせず、徒らに夫を責めるのみであつたので、夫婦の折会は次第に悪化し、夫婦間にはいざこざが絶えず、加へて、被告には一面、短気粗暴なる短所があり、生活が悪化するにつれ、又夫婦関係が悪化するにつれて、その短所が表はれ、時には夫婦いさかいの果て、原告を面罵し、或は、殴打する等の暴行を加へる様になり、一方、原告は、苦労を知らない上流婦人の短所として、苦労に対する忍耐力を欠く為め、永く忍耐して、被告の生活態度を改めさせて、新しい生活をする様に努力することが出来ず生活が苦しくなるにつれ、又それにつれて、被告の粗暴の振舞が表はれるにつれて、被告に対し、次第に嫌悪の情を懐く様になり、又、被告との夫婦生活が厭しいものの様に思はれる様になり、被告と感情的にも対立する様になり、その為め、夫婦の間の折会は、一層悪化の度合を深めたこと。

(十)  その後昭和二十五年中に至り、長女正子が米軍下士官と恋愛関係に陥り、之と結婚することを熱望し、原告が、之に同意したに拘らず、被告が、反対した為め、更に一層夫婦の対立が激化したこと。

(十一)  被告は、その後に於ても、依然その生活態度を改めず、その為め、その生活は更に悪化し、原告に与へる生活費なども僅少な額で、原告は、その生活の維持に困難し、それにも拘らず、被告は、右の様な生活を続けたので、原告には、被告が原告に対し既に愛情すらも持つて居ない様に感ぜられ、被告と夫婦として生活して行くことが出来ないと思ふ様になつたこと。

(十二)  斯様な状態にあつたところ、偶々、昭和二十六年十一月二十九日に至り、原告が、被告所有の馬の競馬の賞金の残額金五万円を、被告に無断で、受取り、借財の返済、その他に費消したことについて、被告から叱責されるや、原被告の夫婦関係も之によつて極つたと思ひ詰め、被告と離婚することを覚悟して、同日、被告に無断で被告の許を立ち去つて、原告の実兄訴外井上利治の許に身を寄せ、現在に至つて居ること。

(十三)  原告が、現在、家政婦の様な仕事をして若干の収入を得、一人独立して生活して居て、被告の許に帰る意思のないこと。

を認め得ると共に、他面に於て、

(イ)  被告が、依然として、原告に対し、愛情を持ち続け、現在に於ては、その過去に於ける一切の所業や原告に対する一切の仕打を後悔し、今後は、従前の様な生活態度は、之を改め、原告と共に生活再建の為めに努力することを決意し、ひたすら、原告が被告の許に復帰することを願つて居ること。

(ロ)  又、女性の関係も既に一切清算し、原告が被告の許を出てから後、一時身の廻りの世話をさせる為めに同居させて居た訴外たけ子とも手を切つて居て、将来左様な関係を作らないことに決意して居ること。

(ハ)  原告が、年令満五十歳で、女性としては既に、その本来の使命を終り、今後は云はば余生の如きもので、今後に於て、花咲く人生は到底之を期待し得ないと考えられるのに反し、被告は、漸く令四十九歳に達したばかりで、その前半の人生が順調であつたのに反し、終戦後は、苦難な生活が続き、妻たる原告にすら見限られる様な失態を演じつつも、その体験を深め、人間として漸く成熟し来たつたと認められるので、男子としての真の活動は、今後に於て、期待し得られる事情にあること。

(ニ)  のみならず、被告は、経済的活動能力に於て優れて居るのであるから、真に活動の機会さへ得れば、何時でも十分に活動し得られるのであるし、経済界の事情も亦漸次被告の活動の機会が得られる様な事情に動いて居ると認められるので今後、被告に活動の期待を十分に持ち得ると考へられる事情にあること。そして、斯くなれば、原告は、妻として、又、明るい生活を期待し得られるのであるから、客観的に見れば、原告が、被告と離れ、若干の収入を得て、淋しく一人身の生活を送るよりも、幸福であること幾増倍であると考へ得られる事情にあること。従つて、原告は、被告と離婚するよりも被告の許に復帰し、被告と再び夫婦生活を送ることが、原告の為めにより幸福であると考へられる事情にあると認められること。(斯の如き事情が認められる上に、前記の様に、被告は、原告の復帰することをひたすら願つて居るのであるから、原告は、この際、被告の許に復帰すべきであつて、一人我を張り、復帰を肯んぜないとすれば、それは、俗に云ふ、女妙利の尽きる仕儀であると認められても、亦、止むを得ない事情にあると認められる。)

(ホ)  又、被告が男子として真面目に活動する為めには、内助の功を致す人の力が必要であり、その為めには、永年連れ添つた原告が最もふさわしいと考へられるし、又、真面目に生活する為めには、その生活を根本的に立て直さなければならず、被告は、それを決意して居るのであつて、その為めにも内助の功を致す人の力が必要であり、その為めにも、原告の力が必要であると認められる事情にあること。従つて、原告が、被告の許に復帰するのが、原告の為めにも、又、被告の為めにも最良の道であると認められる事情にあること。

(ヘ)  被告に、夫としての欠点のあることは、前記認定の事実に照し、明白なところであるが、原告にも、妻として忍耐力の不足、夫と共に生活再建の為めに努力しようとする積極的意慾の不足、逆境に抗する力の不足、我侭であること等の欠点もあつて、それが、夫婦間の愛情その他に影響を及ぼしたと認められる点もあるので、原被告間の現在の状態の現出については、原告に於ても若干の責任があり、被告のみを非難しないで、原告も十分に反省を加へれば、被告の現在の心境と併せ、将来、夫婦間の円満な結合の回復の可能性もあると考へられる事情にあること。

(ト)  尚、原被告が婚姻してから現在に至るまでの、夫婦関係の推移を、綜合的に考察すると、被告が、経済的に豊かな生活をして居るときは、被告に前記の様な所業がありながら、原被告間の夫婦関係には殆んど云ふに足るべき程の風波も起らなかつたに拘らず、被告が、経済的に行き詰るや、忽ちにして、風波が立ち、遂には、その関係が、破綻に瀕するに至つたと認められるのであるから、原被告間の関係が現在の状態に立ち到つた根本の原因は、被告の経済的行詰りであると云ふべく、従つて、被告に於てその経済的行詰りを打開し得れば、原被告の関係の円満なる回復は可能であると断じ得る事情にあるところ、被告に優秀なる経済的活動能力のあることは前記の通りであるから、機を得さへすれば、その経済的行詰りは之を打開し得る事情にあるのであり、而も、最近の経済事情は、前記の通りであるから、被告が、経済界に於て、活動の機を得る可能性も近い将来に期待し得られる事情にあると認められるから、将来に於ては、現在ある夫婦関係を継続し難い様な重大な事由も解消すると云い得るから、原被告は、婚姻を継続するのが相当であると認められる事情にあること。

(チ)  更に、前記の通り、男子として、今後の活動を期待し得られる被告と今日離別することは、婚姻以来二十有余年に亘り、良きにつけ、悪きにつけ、兎に角、労苦を共にして築いて来た礎石の上に、来るべき幸福を捨てるに等しいことであつて、これは、二十有余年の努力を無にし、その余生を捨て去るに等しいもので、それは、原告にとつて、不幸であると認められること。従つて、この様な点からしても、原告は、今一応、被告の許に復帰し、将来の幸福の為め、努力するのが相当であると認められること。(離婚することは、た易いことである。今一度被告の許に復帰し、努力して見て、遂に、被告と夫婦生活を送ることが出来ないとなれば、その時、離婚しても決して遅くはないと認められる。)

と云ふ事情をも亦認定することが出来る。

原告本人尋問の結果(第一、二回を通じて)及び証人井上利治、同野本正子の各証言中、右(イ)乃至(チ)の認定に反する部分は、孰れも、之を措信し難く、他に、右認定を動かすに足りる証拠はない。

五、以上認定の諸事情を綜合すると、原被告は、婚姻を継続するのが相当であると認められる。(離婚の訴を提起せざるを得ない様な状態に陥つた夫婦は、円満な結合関係を回復し難いと云ふ様な見方もあり得るかも知れないが、それとて、一時の出来事であつて、円満な結合の回復の可能性のある限り、その様な出来事は、過去の一出来事に過ぎないから、その様なことがあつたからと云つて、婚姻の継続を不相当とする理由とはなり得ない。)(尚、民法第七百七十条第一項第五号と同条第二項とは、相対立する規定であつて、孰れも将来に関する規定ではあるが、第五号の規定は過去及び現在の事実状態によつて、離婚の請求権を発生せしめると云う規定ではなく、将来に於て、円満な夫婦の結合関係の回復の可能性のない場合に、離婚請求権を発生せしめると云ふ規定であるのに対し、第二項の規定は、将来に於て、円満な夫婦の結合関係の回復の可能性のある場合は、既に発生した離婚請求権を消滅させると云ふ規定であるから、第五号の場合には、第二項の規定の適用の余地は、全然ないのである。而して第五号は、右の様な規定であるから、現在に於て、夫婦の結合関係が破綻に瀕して居ても、将来に於て、円満な結合関係の回復の可能性がある限り、第五号の規定の適用はないのであつて、従つて、この様な場合には、離婚請求権は発生しないのである。)

従つて原被告間に、婚姻を継続し難い重大な事由があるとする原告の主張は、理由がなく、その存在することを主張して為された原告の離婚の請求は理由がない。

而して、離婚の請求が理由のない以上、財産分与の請求の理由のないことは、論を俟たない。

六、以上の次第で、原告の本訴請求は、全部、その理由がないから、之を棄却し、訴訟費用は、民事訴訟法第八十九条によつて、全部、之を原告に負担せしめ、主文の通り判決する。

(裁判官 田中正一)

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